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★「マイスターかみいた」は東武東上線の上板橋駅北口に広がり、多くの商店や店舗が集まって出来た大きな商店街です。いわば「住所」には載っていない1つの「街」のようなものです!
ここでは、この街の歴史を少し振り返ってみたいと思います。
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その昔、上板橋は板橋区の南部に位置する弥生町・大谷口・大谷口上町・向原・小茂根・東山町・東新町・南常盤台・常盤台・桜川・練馬区小竹・江古田の各町とともに、昭和七年まで上板橋村と呼ばれ、ひとつの行政単位になっていました。当時より川越街道は上板橋村の生活幹線として重要な役割を担っていました。
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板橋宿-------------上板橋村--------------下練馬村--------
日本橋より
二里 二里半 三里 |
板橋区教育委員会『上板橋宿』より
昔の川越街道
| 慶長五年(1600)から同八年にかけて江戸幕府の大交通路事業により五街道が整備されその街道の一つ中仙道の脇街道が川越街道で川越道中と呼ばれていました。 |
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日本橋を起点とし、中仙道は北に進み
神田川―本郷台地―森川宿―巣鴨―滝野川―板橋宿
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| この板橋宿から武蔵野台地を西北に走り、川越城下に達する全長十三里半(52キロメートル)の道程が川越街道のすべてです。 |
| 東武東上線はその昔、「東上鉄道」と呼ばれ大正3年5月に池袋から田面沢(今の川越市)まで初めて蒸気機関車が走りました。 |
| 区内では池袋駅・下板橋駅・成増駅に続き同年6月に上板橋駅が開業しましたが、初めは南口しか出来ておらず北口は昭和15年頃に出来ました。 |
| 開業当時の沿線はほとんど畑で人家も少なかったため、主に貨物列車が走っていました。 |
| 上板橋駅の利用者もわずか1日10人程でしたが、現在では、多くの住宅・商店・店舗など街が整備され1日3万人近くの人が駅を利用するようになりました。 |
若木小学校記念誌より
開業当時の東上線
| その昔、このあたりは主に農村地域でした。そのため商店も少なく人々の暮らしには「よろず屋」と呼ばれる「何でも屋」が欠かせない存在となっていました。 |
| 「よろず屋」には生活用品・食料品・酒・たばこ・文房具・駄菓子など、生活するために必要なものがほとんど揃っていました。 |
| そのため「よろず屋」は人々から親しまれ、いつも主婦や子供達が集い、にぎやかな声であふれていました。 |
| まさに「よろず屋」は今の商店街の原点だったのです。 |
若木小学校記念誌より
よろず屋
| 「マイスターかみいた」の中を通る「富士見街道」は、そのむかし富士街道や練馬街道と呼ばれ、この辺りでは川越街道よりも早くからひらけていたそうです。 |
| 当時は砂利道で人通りも少なく昭和30年前半に舗装工事が行われました。 |
| 「庚申塔」はこの道が二つに分かれる場所に交通安全祈願のため建てられ、一昨年で建立200年を迎えました。 |
| わたしたちは日ごろの感謝の意を込め、毎年初庚申の日には神主様を招きお祈りを奉げています。 |
中台小学校記念誌より
上板橋の庚申塔
| 「マイスターかみいた」は、上板橋駅北口に広がる4商店街が一つにまとまり生まれました。 |
| 昭和26年「新常盤通り商工睦会」として発足。昭和28年「上板北口商店会」をへて 昭和63年「上板橋北口商店会」に至る。 |
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昭和32年「上板橋中央通り商店会」として発足。昭和34年「上板北口銀座商店会」に至る。
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| 昭和25年「双葉通り親交会」として発足。昭和57年「双葉商店会」に至る。 |
| 昭和25年「上中親睦会」として発足。昭和45年「上中商栄会」に至る。 |
| 5. 上記の四商店街の合併によりマイスターかみいたは、平成九年三月に発足しました。 |
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